? ドクターズ インタヴュー(山本敏晴先生) - ベストケア東京
ベストケア東京

ドクターズ インタヴュー

サイトマップ
TEL:042-357-3022
ベストケア東京 > ドクターズ インタヴュー > 第5回 NPO法人宇宙船地球号 事務局長 山本敏晴 先生

ドクターズインタヴュー

PICK UP求人・募集

PickUp求人photo

医療法人社団めぐみ会
成果次第で2000万以上可能。成果報酬型の給与と大型クリニック内のグループ診療が特徴。

募集: 内科、糖尿病、脳神経外科、整形外科、小児科等

勤務地: 東京都多摩市、東京都八王子市、自由が丘、目黒、杉並

医師の転職成功事例

転職成功事例

転職を成功した医師の実話に基づく成功事例集

⇒転職成功事例へ

医師転職マニュアル

転職に失敗しないための秘訣 医師の転職マニュアル

医師ならではの特殊な転職事情について、経験豊富なエージェントがアドバイスします

⇒医師転職マニュアルへ
プライバシー保護方針
転職サービスお申し込み

お問い合わせ

お問合せ

電話またはE-MAILでのお問い合わせ・ご質問も受け付けております。お気軽にご連絡ください。

Tel: 042-357-3022
e-mailを送信する

無料メール相談室

職場のトラブル、転職に関する疑問や悩みに経験豊富なスタッフが応えます

無料メール相談室へ
ドクターズインタヴュー#05 山本敏晴先生

山本敏晴医師 NPO法人 宇宙船地球号 事務局長
山本敏晴 先生


1965年生まれ。学生時代にアジア・アフリカを中心に数多くの国を訪れ、撮影をして回る。90年医師免許取得。2000年より数々の国際協力団体に所属し、アフリカやアジアに派遣される。03年国境なき医師団の理事に就任。同団体を退任後はNPO法人宇宙船地球号を創設。現在は「本当に意味のある国際協力」を実践するため、国内外各地で様々な活動を行っている。著書に、『世界と恋するおしごと 国際協力のトビラ』、『アフガニスタンに住む彼女からあなたへ』、『国際協力師になるために』等がある。

国際協力の意外な一面


医師を目指したきっかけをお聞かせ下さい。


小学6年生のときに父に連れられて南アフリカ共和国に行ったんですが、そこでアパルトヘイトを目の当たりにして、世界の事に興味を持つようになりました。
医師を目指したのは、父親が開業医だったからですね。それを継ぐべく医学部に入れられました。東京に出て医学部で勉強しているうちに、色々な事に興味が出てきたんですが、最終的にずっと気になっていた国際協力をやろうと思うようになりました。20代の頃は大学で遺伝子治療研究をやっていたんですが、実験の才能がなくて挫折した経験もあります。現在は自分の団体で「国際協力師」を養成する活動を事業として行っています。


「国際協力師」とはどういうものでしょうか?


ボランティアではなく、十分に生活できるだけの、日本人の平均以上の収入を得て、国際協力をしている人を総称してそう呼んでいます。具体的には、ユニセフやWFP(国連世界食糧計画)で活躍する国連職員や、日本政府がやっているJICA(国際協力機構)などで働く人です。他に開発コンサルタント会社などが企業として国際協力をやっているケースもあります。こういった人たちは、月給が最低でも25万以上、多いと年収1000万以上の給料をもらってやっている「国際協力のプロ」の方たちです。
国際協力と聞くと、ボランティアでただ働き同然というイメージがありますが、それは間違いです。ボランティアでやっている方は、おそらく全体の5%もないと思います。ボランティアの方はだいたい1回で辞めてしまうんです。収入がない訳ですから、せいぜい半年ぐらい続けたら、生活するお金がなくなって辞めてしまう。だから国際協力はほとんどがプロによって行われている訳です。


プロの国際協力師になるには


一番典型的な道は、国連職員になるコースです。一般的な国連競争試験では、アメリカ人やイギリス人など世界中の人達と一斉に受験することになるんですが、英語が苦手な日本人は落ちてしまうことが多いです。ところが、外務省の国際機関人事センターが毎年AE/JPO試験というのを行っていて、これには日本人しか受験しません。このJPO試験が、日本人が国連職員になる一番簡単な道です。これに毎年1000人ぐらい受験して、65人ぐらいが合格しています。
JPO試験を受ける条件がありまして、①35歳以下であること、②英語(仏語)能力があること、③そして大学院修士号を持っていることです。医者の場合、博士号を持っている人も多いと思います。④それから(年度によっては)専門に応じた勤務経験が必要で、医者の場合は5年以上、看護師などは3年以上の経験が必要です。(職種によって2年以上で可)
以上の受験資格を揃えて合格できれば、晴れて国際協力のプロとして、ユニセフやWHO(医療系の場合)で働くことができ、年収が1000万ぐらいになります。


国連は国際協力におけるエリートコースです。国連職員は、例えばニューヨークの国連会議室で議論を行ったりしますが、実際に発展途上国の現地に行くことはまずありません。
国際協力には大きく分けて二通りあります。NGO(民間の非政府援助組織)のように、例えばアフリカの僻地に行って、収入は少ないけれども、直接患者さんを診られる仕事もあれば、WHOなどの国連職員のように、現地に行かずに会議ばかりしながら、何千万人もの命に係わる仕事もあります。どちらも必要な仕事で、どちらが偉いということはありません。二つが両極端なんです。どちらかを選ぶかは、最終的にはその人の生き方や倫理観とか価値観の問題になると思います。


一般にNGOのような泥臭い国際協力のことは知られていますが、国連やJICA専門家のような年収1000万以上のキャリアがあることは知られていないんですね。だから「医師や弁護士や警察官、消防士、と同じように、『国際協力師』という仕事があるんだよ」という啓発活動をやっているんです。
数年前からプロとして国際協力をやることを広めようと、講演や執筆を行っていたら、NHKや新聞が取り上げてくれました。そうしたら2006年には、外務省が<国際協力士>の国家資格化を検討してくれるようになりました。「国際協力師」なんて、最初は私が創った造語だったんですけど。
ただ本当に国家資格になるかどうかはまだ分かりませんよ(笑)。


本当に意味のある国際協力とは


山本敏晴先生

ご自分の団体を設立された理由はなんでしょうか?


私が国際協力に関心を持つようになった直接のきっかけは、学生時代の旅行です。途上国に行ってあちこち写真を撮りまくっていると、色んな組織が国際協力をやっているのをよく見かけたんです。それが単なるお金のばら撒きで、何も未来に残らない、本当に意味の無い国際協力だったんですね。その時に、もし自分が将来やることになったら、本当に意味のある(未来に残る)国際協力をやろうと思ったんです。
結局、その後医師になってから国際協力をやろうと思い、国境なき医師団など幾つかの団体に入りました。派遣先はどこの国でも良くて、最初に私に来た案件だったシエラレオネ(西アフリカ)に行ったんです。そこで、自分の信じる「本当に意味のある国際協力」というのを自分の方針でやったら、現地の人には非常に評判が良かったんです。ところが、これは所属していた組織の方針では出来ないスタイルだったので、独立して自分の団体を作りました。
大きな援助団体の理事になった時期があって、頑張って内部で改革しようともしたんですけど、それにはフランスにある本部で幹部たちとフランス語で激論をしなければいけないんです。日本語でなら誰にも負けない自信があるんですが(笑)、フランス語では無理ですね。


先生の提唱する「本当に意味のある国際協力」とは、未来に残る支援という意味ですか?


そうですね。一言で言えば、造った学校や病院が地元の人たちの手で未来永劫に続いていくような状態に持っていくことです。また外国人は極力余計な手出しをしないこと、そして現地の文化や宗教も尊重するということですね。


施設を運営していくには、資金面の問題や人材確保の問題などもあると思いますが、非常に困難な事業ではないですか?


それでも結果は出していると思います。苦労することはめちゃくちゃ多いですが、7割は成功していると思います。


実は海外が苦手なんです


感傷的な話は苦手なんですけど、そもそも私は海外に向いていないんです。年間100回ぐらい飛行機に乗るんですが飛行機恐怖症ですし、下痢のしやすい体質で、シエラレオネでは極度の硬水から下痢が続いて、半年で15kg痩せましたね。トイレも水洗ではなく、掘った穴だけですし、シャワーもなくて手桶で洗う感じです。それに私はインターネットが大好きな現代っ子なんですけど、電気なんか無いですから。シエラレオネでの最初の1ヶ月目は地獄のように辛くて発狂しそうなぐらいでした。


それでも続けようと思ったのはどうしてですか?


学生時代に現地で見た国際協力があまりにも酷かったので、それを自分が叩き直してやるという思い込みが強かったんですよね。
でも最初の1ヶ月が過ぎた頃、あまりの辛さから、ストレスによって一日中涙が止まらなくなる「情動失禁」という症状になりました。リーダーからも「もう日本に帰ったほうが良い」と言われたんですけど、ここで帰っては負け犬じゃないかと思ったんです。無意味で下らないと「馬鹿にしていた国際協力すら自分には出来ない」ことになる。それだけは自分自身のプライドに懸けて嫌だったので、その時は石に噛り付いて頑張りました。


突如迎えた転換


ところが、1ヶ月過ぎたら大丈夫になりました。その時はシエラレオネに作った7つの病院が未来に残るように看護師の教育をやっていたんです。彼らだけでやっていけるレベルに育てるのに、残りたった5ヶ月しかなくて、その間に何が出来るかを考えていたら、帰りたいと思わなくなりました。最初は「まだ残り○○日もある・・・」なんて思って、減っていくのだけが嬉しかったのが、途中で「もう○○日しかない」と、考えがころっと変わったんです。あの転換は自分でも驚きです。あれがなければ今の私はないですね。


何が転換になるきっかけになったんでしょうか?


言葉ですね。私は現地の文化を尊重して言葉を覚えるようにしているんです。3週間目で言葉が喋れるようになってきて、現地のスタッフや患者さんと仲良くなったのが大きなきっかけですね。


これまでに最も達成感を感じられたのはどんなことですか?


2002年に最初の本『世界で一番いのちの短い国』を出したんですが、多くの方が感想を送ってくれました。本を読んで青年海外協力隊やユニセフ等に入りました、というメッセージを何百人もの方から頂けたのは嬉しかったです。


医療だけでは国際協力は難しい


今後の目標はどういったものでしょうか?


やればやるほど、やらなければいけない事がどんどん広がっていくんですよね。
シエラレオネに行った頃は、医療と教育をやるだけでそれが未来に残ると思っていたんですね。ところが実際は病院を造ってもお金が必要な訳です。現地スタッフには給料を払わなければいけないし、薬も買わなければいけないし、薬を病院に届けなければいけないけれど、輸送が一番お金が掛かるんです。だから安定して資金を確保するために経済学の勉強が必要になりました。次にアフガニスタンに行ったんですが、戦争によって造った病院が爆破されたり、手塩にかけて育てたスタッフが殺されることなどがあり、政治も勉強しなければいけないと考えるようになりました。あとカンボジアで職業訓練校などを10校ほど造るのに協力したんですが、途上国に経済が発達してくるとどうしても公害が発生してくるんです。そこで環境問題も配慮しなければならないということになりました。
結局、元々私がやっていた医療と教育に加えて、経済、政治、環境の五つを同時にやっていかないと持続可能な活動にならなくて、これが私の活動の根本的な方針となっています。
以前は経済や株価にまったく興味が無かったんですが、これらは全部関係してくることなので、今では五大新聞の全紙の社説を読みまくっています。医療だけやっていては駄目だというのが私の結論です。


若手の医師に対してメッセージを頂けますか?


悪い奴と付き合うなということです。大学病院で地道に勤務していれば年収は900万ぐらいだと思います。ところが美容整形などは、最低でも6000万〜1億以上とかなり儲かります。そういう人の自慢話を聞いていると、自分の境遇に疑問が湧いてくることがあるんです。だから私はそういう金持ち医者と会わないようにしています。人と関わっていれば、多かれ少なかれ影響されます。その影響を自分が善しとするかどうかということですね。何らかの価値観や倫理観を持っていて、そこに自信があるのなら、それを迷わせるような人と会わない方が良い。それが人生を生きる上で最も重要なことだと私は思います。


今日はどうもありがとうございました。



Information
山本敏晴先生著 ケニア、HIVエイズの写真絵本 年内発売! (2009/11/28)

ケニアの「HIV/AIDSとともに生きる子どもたち」に「あなたの大切なもの」を絵で描いてもらい、かつ、その子たちの家庭を訪問し、どのような生活をしているのかを詳細に取材しました。その結果、浮かびあがってきた数々の社会問題を写真で紹介しました。それを知って頂いた上で、私たちが彼らに対してできることは何か、をわかりやすく解説させて頂きました。通常は、大学院の国際開発学部で勉強するような専門的な内容を、小学5年生でも理解できるように、絵と写真で簡明に表現してあります。題名の予定は、「HIV/エイズとともに生きる子どもたち ケニア 〜あなたのたいせつなものはなんですか?〜」(小学館より)。国連の世界エイズデーである、12月1日直前に出版。2009年11月28日、店頭出荷の予定で調整中。大人から子どもまで、国際協力に興味のある方は、是非ご一読下さい!

ドクターズインタヴュー 一覧へ |  NPO法人 宇宙船地球号  | BLOG「山本敏晴の日記」

copyright