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第3回 名郷直樹先生

医師画像 Interviewee:
名郷直樹 先生

地域医療振興協会 地域医療研修センター長、東京北社会保険病院 、市立伊東市民病院 、公立長生病院
1961年名古屋生まれ 。1986年自治医大卒。1988年より作手村国民健康保険診療所でへき地診療所医療に従事。2003年4月より現職。主な著書は『EBM実践ワークブック—よりよい治療をめざして』(南江堂)、『人は死ぬ:それでも医師にできること』(医学書院)、『治療をためらうあなたは案外正しい』(日経BP社)。

医師画像 Interviewer:
医療法人社団めぐみ会 理事長 田村豊 先生
1956年生まれ。一般企業に勤務した後、岐阜大学医学部に入学。卒業後、三井記念病院等で臨床経験を積み、37歳で開業。現在首都圏に5つのクリニックを展開。 →インタヴュー第1回 田村先生

上手くいっていないと感じた研修医時代
医師になられた理由やいきさつをお聞かせ下さい。

僕自身はあまりこういう医者になりたいというのが実はなかったですね。高校の時にたまたま見た自治医科大学の募集要項には、学費がタダで生活費貸与有りとなっていて、家庭の経済事情もあって同大学だけはまず受けることにしました。サラリーマンになるのも想像しにくかったですし、医師免許を持って食いっぱぐれないようにしようという(笑)、あまりぱっとしない理由でしたね。

なかなか一生のヴィジョンは学生のうちには描けないですよね。先生が次第に「こういう医者になろう」とアイデンティティが作られていった経緯はどういったものですか?

在学中は病院や実習が嫌いで、しまったなあとも思っていたんです。自治医科大学には義務年限という良い制度があって、9年間出身県に帰ってへき地勤務をやらなければいけないという縛りがありましたから、まずその義務だけは果たそうと思いました。2年目の進路選択になったときですが、私が研修していた病院では内科系には多くの研修医が行くんですが、外科系は人気なくて、先生方が飯を奢るなどして勧誘してくれるんです。自分でははっきり決められないものですから、誘われる方にと…(笑)。デタラメですけれども(笑)。
3年目からは愛知県の作手村に赴任しました。人口3,000人ぐらいの村で診療所の仕事だけになって、研修が遅れていくことに不安を感じながらも、週に1日は研修病院に戻って外科の研修を続けていました。そのうちに外科のトレーニングに対する意欲も薄れていき、正直なところ「これは上手く行っていないな」と感じることもありました。 その後、色々な事情で4年目も診療所に残ることになって道も狭められましたが、母校にはへき地医療を専門にする地域医療学という講座もありましたので、先輩とも相談した結果、へき地医療を専門にやっていこうと思い始めました。

研修期間が上手くいかない2つのパターン
医師画像:名郷先生 最初はあまり気負っていなかった印象ですが、徐々にへき地診療に惹かれていった訳ですね。

いえ、気負ったところはあって、「ちゃんとした医者にならなければ」という思いは強くありました。しかしへき地医療にも同化しきれず、生涯的な仕事というよりは義務として励んでいる感じでした。正直、よく分からなくなっていましたね。 それでも何とかやってこられた理由は「どうしてもこういう風にしたい」というのが無かったことだと思います。
自治医科大学では、上手くいかない2つのパターンというのがあるんです。ひとつは、こういう専門医にどうしてもなりたいという思いがありながら、へき地勤務のために研修が順調にいかず、やる気を失ってしまうという典型的なパターン。もうひとつは、へき地医療をやりたいのだけれども、こだわりや理想が強いパターンですね。そういう人は周りと揉めたり、「こんな所で理想のへき地医療が出来ない!」と挫けたりと(笑)。僕の場合は高い理想もなくて、自分のストレスを上手くマネージできたから診療所の勤務を過ごすことが出来たのだと思います。優秀な先輩と比較されて、良い評価もされないなかでも、4年間続けることが出来て、だんだんと道が決まっていきましたね。

研修では教えられなかった診療所の大事な機能
医師画像:田村先生へき地の診療所の時のことを今振り返ってどう思いますか?

一生懸命やってはいたと思います。しかし診療所では本当にひどい医療をやっていたと振り返っています。というのも、初期の2年間の研修は技術的には非常にしっかりしていて、沢山の事を教えてくれるのですが、実際に診療所で必要なのはまったく違うことなんです。患者さん達も重い症状になれば自分でちゃんと大きな病院に行くんです。当時はまったく分かっていなかったのですが、診療所として非常に大事な機能というものがあって、診療所のための研修が必要だったと今になって思います。

その診療所としての大事な機能とは何ですか?

地域医療の5つの目標(5つの軸)というものがあります。
一つ目は、あらゆる問題に対応すること。
二つ目は、患者の問題や種類により差別をしないこと。
三つ目は、生物学的な問題だけでなく心理・社会的問題も考慮すること。
四つ目は、「病気を診ずに人を診るというだけでなく、その人がどんな家庭生活の中で、どんな地域の中でやんでいるのかを考慮する」ということ。
そして五つ目は、診察室に来ない人のことも考慮すること、です。
2度目の赴任でようやく理解できてきたことです。

へき地医療に熱心な若いドクターへの教育で、何を大切にしていますか?

私自身がもう一度へき地に行くなら、どういう研修を受けたいかということです。技術を身に付けるための技術研修は非常に大事ですが、先述の「5つの軸」をプログラムにどう盛り込むかということです。

「諦められない」が医師不足を生む
医師の不足や偏在化について、問題の中心は何だと思われますか? また解決方法は?


問題が大き過ぎて、どうお話したらいいか分からないですが、端的に言えば、「長生きしたい」とか「いつまでも健康でいたい」という、叶う筈のない様な夢が身近になってしまったことだと思います。更には「死なないですむ」とか「病気にならないですむ」という見果てぬ夢を追い駆けるようになってしまったことが問題で、患者をそうしつけてしまったところが医療機関や医者にもあるのかも知れません。患者さんが「諦めることが出来なくなった」ということが問題の核心ではないでしょうか。

患者さんが叶えて欲しいと思うレベルに医療がなかなか追いついていけない、ということですか?

追いついていかないというより、医療がそういう方向に行かない方が良いと思うんですね。追いつくことでは解決出来ないことであって、患者側のニーズに対してこちら側が応えようとすることが医療の崩壊を生んでいる様に思います。 へき地の患者さんについて印象的なのは、都心とは対極に、死を自然なことと受け入れている様子でした。僕たちのしていた事は、そういう立派な人たちをむしろ不安にさせるような事だったのかも知れません。 よく、「今日も一日良く生きた」と言いますが、人は一日生きる度に余命が一日短くなっていく訳で、実は「今日も一日良く死んだ」という言い方だってできると思います。ただ「単純に今日も一日良く生きた。明日も良く生きよう」という考え方について、問わざるを得ない世の中になっていると思います。

入院患者だけを診ていても解らないこと
名郷先生が考える、これから医者になる方に大事にして欲しいことは?

例えば、退院する患者さんに対して、「元気になってよかったですね」というだけでなく、家に帰って心配なことがないかどうか訊いてみてほしいということです。医者は病気を治すことで患者さんの役に立っている訳ですが、実際には簡単に治らない病気などもある訳です。やっぱり医者側も、その人の全体の中で自分の治療がどれぐらいの位置に在って、どれぐらい重要なのか、どんな意味を持つのかと考えることが大事ではないでしょうか。その上で、「この病気のこの部分には○○○が有効だ」と自分のスキルが活きてくるのだと思うんですね。大事なのは患者さんの全体が解ることですね。ただ、入院患者を診ていてもそれは解りません。へき地での経験ですが、なかなか病院に薬を取りに来ない人やいつも時間外に来る人がいて、なんて人だろうと思っていたのですが、一度往診をしてみると、ずいぶん高い階段の上の民家に一人暮らしだったのが分かり、「こういうことだったのか」と納得したものです。 病院の中で死なないようにすることは大事だが、病院の外では生き死によりも大事なことはたくさんあり、それら全体を見ることが医者として大事なことだと思います。

若い先生に知って欲しい“へき地医療のやり甲斐”はどんなものですか?

へき地では案外役に立つことが簡単で、とてもやり甲斐があります。研修中の僕にもちゃんとかかってくれる患者さんがいて、そんな中で育てられたものです。都心部では研修医に対して厳しいですね。研修医と聞くと「いや、ちゃんとした先生が診てください」といわれてしまう。 一人前になるまでは、1〜2年はへき地で研修するとよい経験になるのではないかと思います。自分が診ている患者さんが、どんな家に住んでいて、どんな生活をしているのか、ということが見えてくれば、誰でもやり甲斐を感じると思います。

そうですね。やはり苦労した上での「成功体験」が、医者を一人前に育ててくれるという面がありますね。現在は大らかな研修環境がなく、べからず主義の中で萎縮しながら仕事をしているようで、可哀想なところがありますね。

「やりたいことが出来る」よりも、遥かにやり甲斐のある仕事とは
若い先生方へメッセージを頂けますか。

「自分自身がどんな医者になりたいか」ということはそんなに重要ではないと思います。僕自身もそういうことを考えて、さっぱり上手くいかなかったです。それよりも、義務として、そこに来る患者さんに何が出来るのか向き合うということです。「自分のやりたいこと」などはさて置いて、そこに求められたことに応えようとすると、非常に大きな世界が広がってくるものです。「やりたいことが出来る」というやり甲斐などは大したことではなくて、「求められたことに対してお役に立てる」ということが、遥かにやり甲斐のある仕事だったなと今は思えます。
現在は臨床研修期間の分、選択肢が広がり、モラトリアムも増えたのですが、そこで自分探しを始めたり「自分のやりたい事は何だろう」と考え出すと袋小路に陥るものです。もっと「たまたま(偶然に)なること」を大事にした方が良いのではと思います。その「たまたま」というのは、つまり誰かの思いやニーズに噛み合うということです。「やりたいこと」より「期待されていること」をやっていくと、道が拓けてくるものと思います。

今日はどうもありがとうございました。


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